やあ( ´,_ゝ`)ふじさんだよっ☆=-キラリッ
ラブライブマンホール問題のコラムが
結構反響あったのでなんか書くって話
今月13日にあげたこれ
とにかく良いものは良く、悪いものは悪いと
忖度ない内容で書くのがゲームマスター流儀
このコラムで扱っている内容は
アニメ・ラブライブに関する事といっていいし
一方、ふじさんはゲームプレイヤー。
ラブライバーでもなんでもない。
アニメを率先して観ていく趣味ではないが、
アニメ自体に拒否感はなく、むしろ好き。
ただしアニメ鑑賞する時間があるんだったら
ゲームするし、なんか色々とやる。
でも繰り返すけど、アニメが嫌いではなく
それ以上に優先するものがあるから後回し。
観る時期がくれば一気に通して観る。
そんな、ゲームマスターという、
ゲームプレイヤー視点で見るラブライブは
ラブライバーが見る内側からの視点ではない。
で、ふじさんはその高い知能と感応力、
感性や操作技術と経験などを駆使して
ゲームの楽しみ方を開発し、伝える者。
その『楽しみ方』というものは、
いわゆる『ゲーム』という垣根を超えたもの。
アニメの楽しみ方も多様にある事から、
アニメを楽しむ者はアニメプレイヤーであり
でも内側に居る者は、より深く内情を知り
体感し、多くの知識や感性にも触れているが
内側にいるから外側よりも真理を知るかといえば
これは正解とはいえない。
なぜなら、
内側に居るものは必ずひいき目に見るし、
これだけの金をつぎこんだという浪費の事実から
それが価値のないものだったと思えたとしても
今更それを認められないという心理もよくある話
そのため、価値があるとこじつけてでも
主張しだすのはそれこそあるある話なので、
そもそも内側の話は信用してないのだ。
ただの知識ぐらいだね。信用に値するのは。
知能や能力とはまっっったく関係ないけど。
あのコラムに書かれてあることは
内側というよりも外側からの見解であり、
高知能者が個人の感性と中立的な感想を
コラムという形で事象をまとめ、
ラブライブ!という作品を評価したもの。
そんな、ゲームマスターとしての評価を
もっと聞きたい!と何人か現れたのが、
今回の話の主旨。
ラブライバーの人もいたし、
まったく関係ない人もいたりした。
特に、外側から見たラブライブ!の感想を
もっと読みたいという人が目立ったので
近々、コラムで書くかもしれない。
物語を知識と法則でしか見れない低能くんは
ゲームでもその程度でしかプレイできない。
物語を愉しむ事は、実はそう簡単な事ではなく
中途半端な能力者が最もつまづくところ。
経験と勘違いした、ただの知識が支配して
物語を観ることができなくなるからだ。
中途半端なヤツが最も勘違いしやすい。
これは、このゲームマスターが
以前からずっと伝えている事だね( ´,_ゝ`)
知識しかとりえがないハリボテくんになる。
というわけで、
ラブライブ!で最も感動したところとか
好きなところとかをコラムるかもしれない。
……思えば、もう4~5年前の作品か。
2010年前後からのアニメはもう
見た目だけじゃ時代が判別できないね。
ゲームでも、もうその時代では
3Dグラフィックの描画が写真並だったり
そのぐらいの時代のゲームじゃ、もう
見た目で時代は判別できなくなってる。
ここから先は、
ゲームではヴァーチャルリアリティへ
進化しようとする流れも見えるけど
アニメの方はどこに向かっていくのか。
見た目には違いが無くても、
作り手の負荷が軽減されるような……
そんな方向に進んでいくのもアリかな?と
ふと思ったけど、3Dアニメ技術の進化が
もしかしたらそれにあたるんかね?( ´,_ゝ`)
実際、制作現場は
2Dと3Dどっちが大変か。
興味あるところではある( ´,_ゝ`)