未プレイのゲームをネットの情報だけで判断し
ふじさんの経験や想い入れで語っていく……
そんなふじさん未プレイ談義の記念すべき第1回は
ファイナルファンタジーのリアル路線について想う事
主にFFXVを題材に、過去作なども語っていく。
※画像読込完了まで数秒お待ち下さい
まず最初に
ふじさん未プレイ談義とは?
プレイしてもいないゲームをネットの情報だけで
あれやこれやと批判したり賛同したりしながら、
ふじさんの経験や想い入れ、または単純な好みも加味し
独断と偏見を無責任に熱く語っていく企画。
元々、プレイしない事も主張のひとつとする為、
クソと判断しても何も語れないがゆえ発案したもの。
詳しくはコチラ↓を読んでネ☆=-キラリッ
FFの媚売りに失望して
ホストファンタジーなFF
FFXVの見た目はリアルそのもの
FFXVは見ての通りのリアル路線ゲーム。
ドラクエみたいにデフォルメされてるようなものでなく、
緻密に描かれたフィールドや描写、人物などもはや現実。
そこに描かれた世界の迫力は、堪能に値するものと思える。
美人キャラなんかもう、
現実に居たらトップモデルかトップ女優かって程。
実際、こんな美人がいたら絶対に仲良くなりたい。
この美女はゲンティアナという名前で、かなり好き。
だがしかし…………
その風貌とセンスから、ホストやらキャバ嬢と呼ばれ
ホストファンタジーなどと揶揄される始末。
そして
どこがファンタジーなのか?と思わずにいられない。
そんな状態がもう何作も続いている。
タイトルの名の由来とその想い
ドラゴンクエストというタイトルで非常にしっくりきた。
その名の由来も、ドラゴンに対するクエストという事らしい。
ドラゴンクエスト2では、ドラゴンって何それ?になったものの
ロトの血筋の物語にシフトしたようで、それは3で大正義を果たし
ドラゴン何それ?な2もドラゴンのクエストに通じるもので感激。
ドラクエ3からは支配級のドラゴンが絡み、勇者を支えてくれる。
やはりドラゴンのクエストだった。
メタルマックスでは、荒廃した世界を戦車で闊歩し、
砲弾や特殊兵器で蹴散らし、また戦車を強化する楽しみもある。
まさにメタルマックス。コンセプトはどの作品でも何らブレない。
そしてラスボスはSF全開なもので、物語もまたSF心くすぐる。
では、ファイナルファンタジーってなんなのか?
ファイナルファンタジー誕生の1987年12月18日……
その時期のスクウェアはかなりのピンチだったらしく
社運を賭けたタイトルとしてこの名を冠したという話は
どこか色々なところで見た事も聞いた事もある。
つまり、
ファイナルファンタジーは当時ピンチなスクウェアが
悲願のファイナルなファンタジーを叶えてくれ!として
最後の幻想を現実にするために生み出された作品という事
これが売れなければ倒産、または会社をたたむか、
ゲーム作りをやめる覚悟でいた、ということらしい。
では、そういう意味合いで作られたのも加味した場合、
今のスクウェアは、果たして本当に今のFFを
ファイナルなファンタジーを叶える為の作品として
世に送り出しているのだろうか?という事になってくる。
今やスマホゲーなどに手を出して、
課金お布施ジャンジャンバリバリ稼いで楽してるってのに、
ファイナルなファンタジーを掲げるだけの何かがあるとは
ふじさんは到底見る事はできない。
デザインの天野喜孝を外す暴挙
そして最も許せない事は、
ファイナルファンタジー1作目がまさに大成功し、
そのキャラクターデザイン担当してきた天野喜孝を
ファイナルファンタジー7でついに天野喜孝から担当変更し、
ひとめ見て一般ウケしそうなこんな感じの路線に転向した事。
天野喜孝氏のキャラクターデザインで描かれた世界観は
これこそがファイナルファンタジーらしさであり、
その雰囲気やキャラも好きでとても良く、楽しめていたし
あの幻想的なキャラクターデザインやイラストからは
FFというゲームの世界観に神秘性を抱かずにいられない。
システムやシナリオももちろん大事だけど、
RPGにおけるデザイン担当のチカラって凄いものがある。
妖星乱舞とセフィロスに一抹の不安
ただ、ラスボス音楽がどんどん何かワケのわからない
宗教音楽っぽくなっていったのには、危惧した記憶が。
その時点で、ふじさんは当時から薄々と
コレジャナイ感を抱き始めていた気がする。
1も2も3も4も良かった。
5からも、なるほどと良さを感じた………
ン?FF音楽はコレジャナイな……とか思えてきた。
RPGにおける盛り上がりの最高潮のひとつである
ラスボス戦BGMで、それを采配するあたりで尚更疑問が。
しかしセフィロスの音楽は海外じゃ評価が高いとか聞く。
世界を見た作りを意識し始めていったかなと思えてくる。
とりあえずオペラの発声で叫びいれつつ喋らせ続け、
重厚なクラシックを演出すれば高評価受けるんじゃ?
そんなふうにも思えてくるこのセフィロス!(テテテテー
作りの方向性が世界のプレイヤーの好みに合わせて作ると
高い評価を受けやすくなるこの現実。
世界中からの評価だから、高い評価数も膨大なものになる。
支持者も、評価した人の質とかともかく数を信奉していく。
支持する者は、その高い評価の数を前面に出し、
世界中のプレイヤーの評価の数を背後に自身の論をドヤる。
いろんなところでこういうレビュアーや意見を見るけど
これを考慮してドヤドヤしてるのかが気になるところ。
世界中のプレイヤーはリアル志向
世界中のプレイヤーはとにかくリアル志向で本格派。
デフォルメしたものは基本的に、理解に間があく。
現実という答えがあるので、それに則した作りには理解が易い。
率直に、世界共通に存在するひとつの基準が現実の作りなので、
単純に受け入れられやすいものという事でもあるはず。
もし現実世界を見て、この世界は造りモノでウソだと思うなら
ソイツはすこぶる頭がおかしいやつだろう。
そのくらい、リアリティ溢れるヴィジュアルは
世界標準の価値基準で、最も高い評価をされやすいということ
一方でデフォルメされたものは好まれない。
ドラゴンクエストなんかは典型で、キャラの見た目から既に
オモチャ感やままごと感を見られてしまい、
その段階から、リアルとしての正解じゃなくなってくる。
正解かどうかっていうのは、現実に正解があるんだから
共通認識として作り物感の強さを感じられてしまうこと。
そこをどれだけ頑張って緻密に描いても、現実とは違う
一昔前からもう、FPSゲームなんかは現実と遜色なく
オープンワールドならまさにリアルな世界を堪能できた。
それについては単純に凄い。
しかしゲームを作るという事は世界観を体感する場を作り、
そのタイトルが持つ主張を表現し魅せていく事なのでは。
一方で、FFは7からキャラデザイン担当を変え、
今まで築き上げたものを崩し世界に媚売っていった結果、
リアルだからウケがよく、グラフィックが凄いから評価高く
高評価の数を見て納得する人が増え、それがまた次の評価へ。
……しかし果たして、それでいいんだろうか?
ふじさんはどうしてもそこが引っかかってしょうがない。
掲げてきた主張はどこ行ったと。それで勝負しないのかと。
天野喜孝に始まったFF
FFキャラデザイン担当変更
リアル路線は只の媚びたウケ狙い
リアルに作った作品は、そこで既に優位なのだから、
リアルに作る事だけに集約していけば、
世界のプレイヤーは本来の出来より高く評価してくれる。
要約すればそんな話だけど………
そういう意味もありドラゴンクエストは大好きなんだよね。
ふじさんはドラクエ6までで、7からは一切触れてない。
ドラクエモンスターズなどの派生作品や過去作はやったけど
それだけドラクエプレイ期間にブランクがあったというのに
ドラクエ正統ナンバリングタイトル6の初見プレイから
実に20年経過した今、ドラクエ11をプレイしても
ふじさんは「ドラクエ」をプレイしているとしか感じず、
グラフィックとシステムが進化した「ドラクエ」が
そこにあり体感できていると、尚更感動したものだった。
そこでファイナルファンタジーの正統作品を
20年ぶりにプレイし、FFXVをしたらどうだろう?
ドラクエ6は1995年12月9日発売。
20年ぶりというと1994年4月2日発売のFF6。
FFでも、6作品目で大体合ってるという事になる。
やはりコレジャナイ感に達する。間違いなく。
確かにグラフィックは進化しリアリティで圧倒される。
しかしファイナルファンタジーシリーズは天野喜孝で始まった
天野喜孝氏が描く幻想的な世界観
天野喜孝氏のイラスト、その世界観がかもし出すものこそ
ファイナルファンタジーなんだと感じ、それが好きだった。
これこそがファイナルファンタジーと映っていたし、
そこに幻想的なRPGを思い描いてのめりこんだ。
だからこそ楽しかったし、ハマることができた。
ファミコンでFF1からFF2、3となり
FF3のノーチラス潜水艦の超速移動に猛烈に感激し
最後の空中戦艦であるインビンシブルを手に入れると
勝手に援護射撃してくれる描写もあり、
空中戦艦を手に入れたんだ!という体感が強く印象に。
FF3ラスボスに見る天野絵
暗闇の雲の禍々しさとそのBGM
光と闇が最終的には協力し、ラスボスを倒す展開や
そのラスボスの風貌と音楽の禍々しき不気味さ………
あの風貌は、やはり天野喜孝だからこそ出せた。
このくらやみのくもとBGMは今でも禍々しく、
絶対悪たるひとつの在り方としての正解を見ている。
FF3暗闇の雲曲の動画
FF3・くらやみのくも戦、最後の死闘
FF4に見る天野喜孝
より再現される天野喜孝の世界観
そしてスーパーファミコンにハードを移したFF4で
グラフィックも音楽も強化され一気にシナリオ色が強くなり
その反面、キャラクターも規定のものとなっていった。
つまり自由に職を選べなくなったということに。
では、それでダメだったのか?と問われれば
最初だけの違和感で、人間ドラマと世界観とグラフィックで
どっぷりのめりこんでいったのは記憶にある。
現に最も何周もしたのは、FFシリーズでは4だった。
ハード性能の向上と技術向上ももちろんあったけど
そこに天野喜孝の世界観が活きてたからこそ。
特にゼムスと
フェイズにはおお!天野喜孝!!と感動した記憶が
FF4ゼロムス曲の動画
FF4・ゼロムス戦BGM↓
キャラクターを描くことにより近づけたからこそ
ふじさんはFF4に輪をかけてどっぷり浸かれた。
そしてラスボスのBGM!最終戦として大いに昂ぶれた
FF5やFF6のグラフィックはSFCの芸術。
ドット絵がとにかく凄かった記憶。
このゲームも何周もした記憶があるし、
より緻密に描かれ始めた天野喜孝キャラの顔絵に
わくわくしてしょうがなかった。
FFシリーズ屈指の名シーンに
FF6のオペラ(アリア)動画
このFF6には、FF屈指の名シーンとして
ファンの記憶に強く残っている展開がある。
今見ても胸が熱くなるし、時代で色あせないものがあった。
仲間を求めてファルコン号動画
ファルコン号浮上・仲間を求めて↓
性能向上に想いを馳せる未来
天野喜孝の世界観の体験を夢見て
ハード性能が向上しグラフィックも向上した流れから
きっとゲームはもっともっと凄いことになって
まるで天野喜孝の世界がそこにあるかのような描写で
FFをプレイできる時がくるんじゃないか?と
そう遠くない未来への期待に胸躍らせていた。
FF6の顔絵なんか、まさに天野喜孝のイラストが
ドット絵で緻密に再現され始めてきたのは確信したし、
7,8、9と進むにつれ世界観も更に再現されていき…と
ファイナルファンタジーの進化が楽しみで仕方なかった。
当時、アーケードゲームとのグラフィック差は段違いで
アーケードゲームのような臨場感、またはもっと凄くなり…
ハード性能の向上傾向から、いずれはこれ以上の描写で
天野喜孝のデザインで描かれる魅力的なキャラクターや
幻想的な建築物や世界観で紡がれるシナリオという……
そんな夢のファイナルファンタジーが未来に作られ!
きっといつかプレイできる時が来るハズ!
そう期待していた。
そして2017年、
技術的には可能な時代になった。
技術的、には。
しかし、そこに天野喜孝は居なかったのだ………
普通にキレイめなイケメンや美女のイラスト。
垂れ目が凄く印象に残るこのデザイン…
誰だっけ……野村?どーでもいいけど。
諸悪の根源・野村哲也
とか思って気になって調べてみたら、
この野村哲也っていうデザイン君は、
FFXVのディレクターにもなっていて、
しかもどれも厨二病ホストキャバ嬢にしか見えない
そんなホストファンタジーしか作れないらしい。
更に趣味がチャラ夫が好みそうなアクセサリ集め。
見た目通りのご趣味ということ………
そういうホスキャバキャラになるのも頷ける
で、開発段階に明らかな監督能力不足か何かで
田畑端にディレクター緊急交代したとのこと。
更にFFXVのシナリオは女が作ってるって本気?
板室紗織って人らしいけど……これ本気で言ってる?
どうやら新人さんらしいけど……
過去に同人活動に勤しんでたとかいう情報も入ってきて、
おいおい大丈夫かとかなりマジに思った。
どういう経緯でこの新人が採用されたのか……
まさか同人活動から評価されたとかないよなあ……
もしかして腐れ女子なんじゃ……
シナリオライターとして起用したってことは、
開発段階から既に居たと考えるのが妥当なわけで……
まさか野村ナントカが……?
うわ、戦犯も戦犯じゃないか………
だからあんなそら寒いデザインにもなって
あんな厨二病にもなれない暗号みたいな名に…
ステラ・ノックス・フルーレ
グラディオラス・アミシティア
イグニス・ストゥペオ・スキエンティア
プロンプト・アージェンタム
そんなのが友情描くとBLにしか見えない。
しかもなんか気持ち悪い。率直に気持ち悪い。
なんだろうこの感じは………生理的嫌悪感。
で、散々言ってきたリアリティとやらも薄っぺらく、
世界に見合わないリアルは違和感しかない。
簡潔に言えば、取ってつけたようにしか見えない。
もう陳腐なモノにしか見えず、見た目だけリアルって感じ。
良く言えばハリボテ。悪く言えばチグハグ。
イケメンホストとキャバ美女と謎タトゥーとファッションで
変質厨二病全開でわっかりやすいダサファッションばかりな
イラストレイター風情が何を勘違いしてしまったのか、
ゲーム監督にまで手を伸ばしてしまった結果、
ディレクター交代したという現実。まさに力不足の証明。
さっきの画像にもあったけど、
公的な場でイヤリングつけて自己主張しちゃってるあたり、
この人の頭の中の理想郷を具現化してしまったものが、
今のイタイタしいファイナルファンタジーならぬ
ホストファンタジーな世界観な気がしてならない。
ハッキリ言って、大迷惑この上なし。
FFが選ぶべきだった選択は
野村ナントカが生存できるヒント
ふじさんが最も理想とする未来としては、
仮にこのノムリッシュファンタジーがあったにしても
外伝的位置づけで作るべきだったのではないか。
過去、ゲームボーイで発売された、
ファイナルファンタジー外伝~聖剣伝説~という
FFの世界観を踏襲したアクションRPGがあり、
クリスタルがどうたらから完全に外れ、
その代わりに世界の命を司るマナの樹とそれを狙う者、
マナの樹を守り、守られる者の物語として作られた。
こんなのファイナルファンタジーじゃねぇよ!
なーんて、当時のFFファンが
ウダウダ文句つけて認めなかったとそう思ったなら
しかしそれはまったくの見当違いで、実際には
この作品は名作のひとつとして高い評価を受け、
そのシナリオ、ゲーム性なども受け入れられ
FFファンからも高評価を受けた作品だった。
のちに、聖剣伝説は2、3…と作られていき
アクションRPGとして確固たる地位を築いた。
ちなみに聖剣伝説3で大人気だった
アマゾネスのリースたん。
聖剣伝説3では職分岐により光寄りの職になれたり
闇寄りの職にもなれたりと、
その光なり闇なりに寄った中で更に2職に分岐され、
聖剣伝説として進化した内容はかなり楽しめた。
スクウェアの聖剣ことイトケン
余談ではあるけど、
作曲したのは伊藤賢治で、その曲たるや名曲揃い。
この伊藤賢治はイトケンの愛称で知られ、
そのイトケン節全開の独自のメロディは新境地を開き、
のちのロマンシング・サガシリーズで猛威を奮う事となる。
未だに、このFF外伝とロマサガシリーズのイトケン曲は
ふじさんのヘビーローテーションナンバーとなっている。
聖剣伝説戦闘2BGMという名曲
その中のひとつのBGMを挙げたい。
ウホッ!?これは……!!と衝撃を受けたそこの君。
気になったらイトケン BGMみたいなワードで検索を。
ラスボスひとつ前の戦闘BGM
そのリメイク版
みんな幸せなたったひとつの未来
そしてこの聖剣伝説は
天野喜孝のキャラクターデザインではなかったが、
それは外伝だったから何の文句もなかった。
天野喜孝ではないFFになってしまう危惧もなかったから。
むしろその路線でどんどん行って欲しくもあったが、
確かに2も3も良かったものの悲しきかな、
初代を越えるものはなく、またそのリメイク作品は
改悪されてしまい駄作へと堕ちてしまったのは余談。
以上のことから、つまり…………
ファイナルファンタジー7で天野喜孝を切るのではなく
正統なFFは天野喜孝で、外伝的位置づけのFFを、
まさにこの野村哲也に担当させていれば何も問題なかった。
そうすれば、みんな幸せになれたのではないか………
なにゆえに、元からいるデザイン担当を外すか、
当時は坂口博信さんだったのかな?判断したのは。
このひげおやじの人柄や、その手腕も好きなんだけど
ふじさんは、そこだけは残念でならない。
もっとも野村ナントカがあわよくばと出世欲出してきて
正統作品のデザイン担当でなければ満足できないような
言語道断のタワケでなければ、の話だが。
そうして、7以降のファイナルファンタジーは
ド低能な野村ナントカのキャラクターデザイン、
またはディレクターとしての働きによって
ファイナルファンタジーはホストゲに成り下がり、
田畑端によってFFXVを立て直そうとしたものの
世界中のプレイヤーに媚びて逃げたタイトルとし
FFはもはや決定的となってしまった。
そこが改善されない限り、ふじさんは永久に
「世界に逃げたFF」をプレイする事はないだろう。